ほしーじょの育てる×働く×楽するブログ

元アメリカ田舎のぼっち駐妻。帰国後、再就職して、子育てと仕事を効率よくやることを日々模索中。

気軽に「会社を辞められる+α」社会

私が日本でなくなればいい!と思っている3制度
★年金制度
★退職金制度
★育児休暇制度などの各種休職制度
「保守的で、我慢強くて、静かにしている」人が得をする制度に思えてならないからです。

「年金」は仕組みを少しは理解しているつもりなので、「払った分が戻ってこないのは嫌だ!」と言うつもりはありません。徴収された年金から様々な経費を引いて分配されていると感じるのが嫌なのです。
そして、会社を辞めると、厚生年金から国民年金への「異動届」とかが送りつけられてきます。私の場合、本当は夫の扶養に入ったから、第3号になるんだけれど、(海外にいるため、)手続きが2ヶ月ほど滞ると、有無を言わさず国民年金の納付書が届きました。。。色々お騒がせニュースを聞くけど、ここのところはせっかちだな。。。と。
(ずっと会社を辞めなければ、一生知らなかった手続きだな、と思いました。こんなに面倒なことがあるなら、数ヶ月や数年で転職なんて絶対したくない…と感じてしまいました。)

「ならば、この額を直接、親に仕送りしたい」と思ってしまうのです。
そして、自分たちの老後資金は今から投資や労働でしっかり貯めておくから…。
子供がいれば、子供に面倒見てもらえるようにしっかりした大人になるように育てるし、
子供がいなければ、子育てにお金がかからない分、資金は貯めておけるし…。
「弱い人を守りたい」と言うならば、何も65歳以上とそれ以下を区別する必要ないから、生活保護を支給してあげてください。


「退職金」は、こんなものがあるから、気軽に会社を辞められないし、人材の流動が進まないと思います。
「賃金の後払い」ね、「老後資金の積立」ね。そんなこと会社にしてもらわないといけない自己管理ができない人は、会社の役に立ってるんでしょうか?
しかも、多くの会社であることでしょうが、「勤続10年以下で辞めたら、積立額の◯%支給」とか、訳のわからないカット率が決められていたりしています。
そして、なぜか50歳過ぎて、会社での先行きがわかってからのほうがバンバン退職金が溜まっていって、「仕事はつまらないけれど、退職金オイシイ」で辞めたくないオジサマの増加も嫌になります。
私が勤めていた会社は、途中から「ALL確定拠出年金」になったので、自分で運用してました。なので、10年未満で退職してもカットはないです。しかし、65歳まで塩漬けで、毎月微妙に手数料が引かれ、それ以上の運用益をあげないと損した気分になるので、精神衛生上、ちっとも良くないです。

実際「年金」と「退職金」の制度があるからって、安心して、今のお給料をじゃぶじゃぶ使っている人ってどれ位いるんでしょうか?
「それだけじゃ生活できない」中途半端な制度に意味はあるんでしょうか?
多くの人が「年金」も「退職金」も不確定で心配で、自分でちまちまと貯めているんじゃないでしょうか??
(うちは「年金」と「退職金」はないつもりで、資産管理をしています。)
「将来野垂れ死にしないように守ってあげる、かも!?」っていう曖昧な保障よりも、
「将来野垂れ死なないように、この資金をどうにかせよ!」ってほうが、選択肢が増えていいと思います。
年取ったら働きたくない人は、コツコツ貯めるなり、投資するなり。
年取っても働きたい人は、自己投資(勉強するでも、遊ぶでも、自営業になるでも)して、働き続ければいいし。


「育児休暇制度など各種長期休暇制度」
こんな制度があるから、取れた人は天国、取れなかった人は地獄(もしくは、取れた人も中途半端なら地獄)になるのです。
長期休暇制度があるから、「会社は辞めずに働き続けるもの」みたいな認識になって、ますます辞めづらく、そして、一度辞めたら再就職しづらくなっていると感じます。

「一度辞めたら働けない」って不安で、つわりが辛くても毎日出勤し、晴れて産休育休を取れてもおおよそ1年で仕事に復帰。保育園に入れる時期に合わせるために、もっと早いかもしれない。復帰したら仕事、育児、家事で自分はボロボロ。前みたいに全力で働けないし、保育園代や家事サービスで自分の給料はマイナス。どれも中途半端で何のために仕事してるか…。ええい、今は子供が大事。仕事辞めちゃおう、みたいな。
全然幸せじゃないワーママ、多いんじゃないかと思います。
最近のワーママが働く理由って、「家計のため」じゃなくて、「(一度手放したら手に入らない)自分の席を守るため」なんじゃないかなー、と感じるのです。
「自分の席」を手放せなくて、子育てしながら、単身赴任の旦那さんと週末婚なんて、過酷な話を聞いたこともあります。
アメリカに来ても、日本人駐妻には「育休の1年半だけこっちで過ごす。」とか「育休の3年を利用して来てるうちにもう1人産まれた。(ので、+3年)」とか、席を手放していない人がいます。(育休と海外赴任が重なるなんて、なんてラッキーなんだ!と羨ましくなります…。)
私は、夫の海外赴任に同行するために「自分の席」を手放しました。結構簡単に決断したので、周りに驚かれました。
「旦那さん単身赴任じゃないの!?仕事辞めちゃっていいの!?」と。
確かに不安です。2度と自分の席には戻れません。
でも「自分の席」を守るためだけに家族の時間、子供を持つ機会を失うなんて、私には耐えられなかったし、強い気持ちで次の自分の席を探す覚悟でアメリカにやって来ました。
(そういえば、最近は国家公務員が海外赴任同行休職があったり(これから制定?)、大企業でもそのような休職があったりするようですね。
これも、3年とか5年とか言っているけれど、3年や5年できっちりおさまりますか?6年だった人は待ってあげないわけ?5年席だけ確保しといて、ちゃっかり英語力つけて、もっと給料いい会社に転職するかもよ!?)←カッコ書きのくせに長い…。

アメリカは日本と様子がちょっと違いました。気軽に転職、再就職できることのメリットがひしひしと伝わってきました。
アメリカは育児休暇制度というものがなく(あっても数週間)、仕事を辞めずに働く場合はデイケア(託児所)やベビーシッターに預けて働きます。そのデイケア代が高額で田舎でも$1500〜$3000というほど!!
デイケア代と仕事が見合わないと思う人は一旦仕事を辞めて、育児に専念し、プリスクール(保育園)くらいにらなったら再就職して社会復帰というのが当たり前のように行われています。
日本では、3年もブランクがあれば、どのように見られるでしょうか?育児休暇を3年取っている人も同じブランク3年なのに、辞めたブランクはとても低く評価されていると思います。こういうのが、休暇を取れた人は天国、取れなかった人は地獄ということです。
会社に制度はあるけれど、中途半端で1年とかで無理矢理復帰した人もそれはそれで「席があるからいいだろ!我慢せよ」と言われて地獄だと思います。

また、育児や傷病を理由とした長期休暇は「使い途」を会社が監視する訳でないため、実態がわからず、他の働き続けている社員の気持ちの調整が難しいと感じます。
最近、育児休暇中やメンタルヘルスでの傷病休暇中に、大学院でMBAを取った、資格を取ったなどの情報を目にすることがあります。(大学院や専門学校の宣伝として。)
それって、アリなんでしょうか?
育児休暇や傷病休暇を取らない社員がMBAを取ったり、資格を取りたいと思ったら、仕事の拘束時間以外でやりくりして頑張るか、学校によっては仕事を辞めないと通えない場合もあります。
なのに、長期休暇を取れた人は自分の席を確保しつつ、自分磨きをしている。
今後、仕事と育児の両立で大変になるんだから、そのボーナス期間だよ。って思える心の広さが長期休暇を取らない社員全員にあれば良いのですが…。
だいたい、それ以前に、欠員による業務の増加などを経験していますし、復帰してからも、以前のように働けないのは容易に想像できるので、広い心を持てというのは無理なんじゃないかと思います。
みんな人間で、白い心も黒い心もあるわけですから、自分ができている、できていないに関わらず、リスクを取ろう!という人には応援する気になるし、リスクを取らない(というか、いいトコ取りする)人には冷たいのはしょうがないと思います。

私の経験でもあります。
Aさん:転職してきて、1年ちょっとで産休に入り、育児休暇を延長して満期まで取り、退職。(本人は退職の意思を言うまで復帰すると言っていたので、人員補充なし。)その人は、育児休暇中、ハンドメイド系のサロン開業の準備をしていた模様。
→もう、みんな薄々とはわかっていたけれど、現実になった時のしらけムードったらありませんでした。。。私は元々苦手な人だったので、帰ってこないとわかってせいせいしたけれど。

Bさん:妊娠し、つわりが重いのと高齢出産で心配ということで産休を待たずに退職。仕事ができる人だったので、数年後上司が声をかけて、契約社員から始め、正社員に復帰。私が退職する頃には、リーダー的立場。

Cさん:今のまま働き続けて資格を取るのは難しいからと、定時で終われる仕事に転職。数年後、資格取得し、やっぱり前の会社で働きたいと再就職。みんな歓迎ムード。

Dさん:独立すると言って起業。円満退社だったので、一部業務を外注し、関係を継続。会社内の飲み会にも呼ばれる仲。

こんな感じです。
制度があるからこそ、ずるい考えを起こす人がいて、それに気づき、人間関係悪くなる。最悪ですね。

「気軽に会社を辞められて、再就職できる。」
こんな日本になれば、
自分の生き方に責任持って、幸せな人が増えるんじゃないかと思います。

まとまりのない長い長い独り言でした。